「学問のすゝめ」

有名な一万円札の人(福沢諭吉)が書いた本の、檜谷昭彦訳を読みました。WikiPediaにも概略が乗っていました。

読んでからずいぶん時間が経ったので少し記憶が曖昧ですが、記載内容のうち以下のような点が、個人的に印象に残りました。(以降、主観が入ってるかも)

 ①勉強は、誰しもが持つ平等な権利だから、しないと損。
 ②自由についての解釈
 ③民の無知が悪政を生む。

①については、人の生まれた環境(農家の家系に生まれた/医者の家系に生まれた)は違っても勉強することに制約はないから、した方がいいですよ、とのことです。

普通の人は、不自由よりは自由の方が好きなはずです。ただ、自由とゆうものには、基本的に責任が付いて来ます(好き勝手にみんなに困ることをされると、怒られてしまいます)。逆に言えば責任が取れないから自由が少ないのではと思います。

それで責任が取れるようになる(=自由を得る)にはどうするべきかと言うと、社会の規則に対する勉強や、何かしたいこと(例えば本を書いて出版したい場合)それに対する方法/規則等の知識を学び、実践できて初めて、したいことができる(自由が得られる)のではと。とゆうわけで①,②を併せて、自由を得たければ勉強するに限る、だから勉強した方がお得ですよ、と自分は解釈しました。

③については、人民が無知では、政治の善し悪しの判断ができないという話です。そうなると政治(家)は独裁的になりやすく、悪政に繋がっていくことになります。政治家が勝手な決まりを作っても文句を言わないと、どうしても政治家のやりたい放題になってしまうわけですから。やっぱり無知な人(教えても聞かない人)を御する政治には、どうしても不自由なことが多くなってしまいます。人々が(世の中のルールを)学んでいないと、善し悪しが判断できないので、悪しを抑えるには自由を奪うしかないってことかな?

せっかく勉強して自由を得ても、それが生かせない世の中じゃあ意味が無いので、そうならないようにみんなでルールを守れるように(守りがいのある世の中に)しましょーという感じの内容です。

とまあ、感想まとめとしては、自分達の自由がほしいなら勉強しろ、と言われているような気になりました。多分明治になって、人々が急に自由を得る権利を得たわけですが、どうしていいか分からない人が多かったんじゃないかと思います。そんな時に現れた本ですから、良い道しるべになったのではないでしょーか。